2009年度 第01回チャペルアワー

●社会福祉法人 京都基督教福祉会 理事長 岡山孝太郎先生
●テーマ:「自立と共生の道 −迷いでた羊−
●おはなし
「福祉」」とは専門的知識・技術だけを指すのだろうか。それも必要だと思われるが、「絆」の大切さ、また「感性(人間としての品格・風格)」をも指しているように思われる。相手が何を辛く思っているのか。それを自分の事として理解しようとする姿勢が必要ではないか。「感性」は一人で築き上げられるものではない。人との繋がりのなかで築き上げられ、一人ひとりの命が輝く。

 昨年度まで、本学院の学院長であった岡山先生が久しぶりに京都ほせんにきてくださいました。岡山先生は過去に幼稚園の園長先生をされていたこともあり、当時のご経験なども交えてのお話でした。以前と変わらぬ「アツい」お話を聞くことができました。

2009年度 第02回チャペルアワー

●社会福祉法人 白川学園 副園長 井上孟先生
●テーマ:「死者の中から復活された」
●おはなし
 市に対する絶望への答を福祉が求められており、これを避けることは出来ない。答やその先にある希望について聖書を用いてお話がありました。

2009年度 第08回チャペルアワー

●高齢者総合福祉施設 京都厚生園 澤田恵美子先生(京都保専卒業生)
●テーマ:「高齢者福祉に携わり20年 私の支え」
●内容:
 本学院社会福祉科を卒業後、20年間という長きに渡り高齢者福祉携わられてきた澤田先生をお招きしました。今までの歩みを支えてくださった多くの方々との出会いと関わり、そこから大切にされている思いをお話くださいました。
 学生の頃、実習指導を担当された方からいただいた実習簿のコメントから、20年経過した今もなお、自分の支えになっている一言がある。それは 「実習生も職員も一緒になって利用者に向き合い考えていきたい」という同じ土俵に働く者として考えるということだった。
 ホームヘルパーとして在宅での介護をされた際には、ご家族の本当の気持ちをぶつけていただいた時、本当の関わりが生まれたこと。
 またそのご家族の介護が困難になる中でどのようにして在宅での生活を維持していくのかを一緒になって考えていかれたことや、利用者さんからの励ましの言葉、たくさんの出会いとその方々の思いに介護者自身が支えられていること、そしてその支えがあるからこそこれからも仕事を続けていきたい、とお話くださいました。
 後輩である在校生たちに、この学院の学生であることの誇りをもって、自分自身の感じる感覚を大切にして日々歩んで下さいと励ましをいただきました。


2009年度 第03回チャペルアワー

●テーマ:「学院の歴史〜スライドより〜」
●内容:
今回のチャペルアワーはスライドを用いて、学院創立の経緯やこれまでの歩を観ました。多くの方々の思い・支えがあって現在の学院があることを知り、感謝の気持ちを持ちながら学院での学びを進めていきたい、との感想がありました。

2009年度 第04回チャペルアワー

●日本基督教団 京都教会 牧師 入治彦先生
●テーマ:「知らぬ間に育てられて」
●内容:
 人が本当に成長していけるのは、人のことを思っているとき、お互いに助け合っているとき…その間=私達の目には見えない余白に神様の働きがあり、私達は”知らぬ間に”育てられている。神様が成長させて下さるその余白に身を委ねてみよう…と、聖書の「成長する種のたとえ」のお話や先生ご自信の身近な体験からお話を伺いました。

2009年度 第05回チャペルアワー

●カトリック聖母保育園 井口 理嵯先生(京都保専卒業生)
●テーマ:「愛に生きる」
●内容:
 先生の勤務先であるカトリック聖母保育園で大切にされている保育の目標は「キリストの愛にならい神の子である一人ひとりを大切にする」です。
 実際の保育の中では「けんか」や「雑巾がけ」などでも、愛をもって子どもと向き合い子ども自身に問いかけていくことで、その子ども自身が持つ「優しい心」「思いやる心」を引き出すよう心がけていらっしゃるそうです。
 子ども主体の保育という点でも、子ども自身が一つひとつ感じ取り、自分で考えて行動すること促されていらっしゃるそうです。
 先生の保育現場の体験を通して、保育者として目に見えるものにとらわれるのではなく、見えないところに意識を向けながら関わることが大切だとのお話をしてくださいました。

2009年度 第07回チャペルアワー

●日本バプテスト連盟京都教会 牧師 大谷 心基先生
●テーマ:「アホになれる賢さ」
●内容:
 賀茂川の近くに日本バプテスト京都教会はある。11年前から橋のところで10人のおじさんとおばさんが生活しており、みかんを届けたところからお付き合いが始り、それがホームレス支援活動につながった。
 先生の体験から、「アホになれる賢さ」について語られた。
 最近頻発しているホームレスへの暴力がまったく報道されていない現状。昨日も通り魔事件が起こり包丁で太ももを刺された。暴力を受けたり花火を打ち込まれたり石を投げられたりすることが多発している。見てみぬ振りをする社会がある。
 1995年10月18日朝8時11分に道頓堀殺人事件の例をあげ、通勤時間にも関わらず誰も助けようとしなかった事実を語られた。その時の人間の心を分析された。「ホームレスの人間だ・・自分には関係ない」「計算された賢すぎる行動?」それしか出来ない人間の姿を語られた。また、神戸の震災のときの人々の反応も同様で、皆が自分達の利益だけを考え、自分の安心と肩書きと経済的安定を確保し、目の前で苦しんでいる人を助けようとしない社会。そんな「賢い」人間がほとんどであり、またご自分もその一人であることを恥じ、だから世界は平和にならないとおっしゃられた。
 マタイの福音書 第27章42節。この時イエスは、国を騒がせ秩序を乱したから殺してしまおう、と十字架につけられてしまった。そして、十字架から自力で降りてきたら信じてやろうと偉い人たちが言った。しかしイエスは、他人を救うが自分は救わなかった。私たちの神様は「アホなんです」。神様は、女、子ども、老人、病人と苦しんでいる人が居たらすぐに助ける。

2009年 第09回チャペルアワー

●洛西愛育園 園長 高木 恵子先生(京都保専非常勤講師)
●テーマ:「小さな子どもの大きな使命」
●内容:
 障害という言葉は、施設に通う子ども達のご両親にとって心地よいものではなく、つらく厳しいもの。また、子ども達全体を障害という言葉でくくる。それは固定的であり、まるでらく印を押されたようである。それに対して、「制約」という言葉は、状況によって変わる要素を持っている。愛育園には、3歳から6歳までの「制約を持つ子ども達」が通ってくる。
 愛育園の保護者の多くが「子どもが歩けません」「靴がはけません」「あれができません、これができません・・・」と、「〜できない」と言われる。
 発達では、歩けないならつかまり歩きが出来る、つかまり歩きが出来ないならハイハイが出来る、ハイハイが出来ないなら寝返りが出来きる、という考え方がある。できないものを見るのではなく、できることを見つけるように、私たちは視点を変える必要がある。
 愛育園には、1350人の方々が訪れ、その一人ひとり障害観を持っている、障害観は人によって様々である。愛育園の子ども達と関わった人はその障害観が変る。制約を持った子どもたちが普通に生きていることが我々を感動させる。彼らは私たちに自分を大切に生きることを教えてくれる。彼らに接することによって、自分の考え方・感じ方が固められ貧弱になっていたことに気づかされる。私たちは、知らず知らずのうちに、遅いより早い、低いより高い、少ないより多く、小さいより大きい、出来ないより出来る、追いつきたい、早く行きたいと考えているからである。
 制約を持った子ども達は、今あるもの、今持っているもので一生懸命に生きている。一瞬一瞬を満足して生きているので「生き生き」している。彼らはセルフチャレンジをする心地よさを知っている。幸せを感じる心、喜びを見つける能力、人を励ます能力、存在そのものが人を励ます。この小さな子どもたちがこんな大きな力を持っている。小さな子ども達が、こんな「大きな使命」を持っていることに気づかされる。
 私は、こんな素敵な彼らと人生を一緒に歩いていることを嬉しく誇りを持っている。この子達が持っている大きな使命が果たせるようにほんの少しお手伝いしたいと考えている。
 3日間のチャレンジ体験で愛育園を訪れた中学校2年生の心に響く感動的な作文の紹介があり、最後に、「いと小さき子らに、いと弱き方々に寄り添い導かれつつ、いつの間にかしみついてしまった真実でない考え方、安易な考え方にとらわれることなく心豊かな人生を歩んでください。」というメッセージがあった。

2009年度 第10回チャペルアワー

にこにこトマト代表 神田 美子先生
●テーマ:「活き活き生きる=生活」
●内容:
 「にこにこトマト」は、京大病院小児科に長期入院している子ども達とその家族に、美術、造形、工作や読み聞かせなど、「楽しく豊かな時間」を届けるボランティアグループである。個として活動は14年目になり、メンバーは79名。グループを組み、それぞれの得意とする分野で子ども達と一緒に時間をすごす。子ども達は、メンバーを「にこトマさん」と呼び、活動には自発的に自由に参加する。
 本来、子どもにとって生きることは遊ぶことと同義で、それは病気の子どもも同じである。そして、私達大人にとっても、遊びを通して子どもが伸びようとする芽を育てたいと思うのは自然な気持ちである。聖書の「良い贈り物を届ける(ヤコブの手紙1章17節)活動でありたいものである。
 今年、病院から出られない子ども達のために、東京からミッキーマウスがやってきた。病気の影響で全く表情のなくなっていたA君は、その翌日笑顔を取り戻した。数日後のクラリネットの演奏会では、演奏者がわざと外した音を聞いて、周りの人が幸せになるような笑顔がA君からあふれたのである。
 Bちゃんは痛みを押して活動に参加しており、起きる元気はなく寝転んでいた。しかし足では楽しげにリズムを刻んでいた。辛そうに見えても、きっと心は我っていたのであろう。このBちゃんは「「おひなさまになろう」でおひなさまの衣装をビニールで手作りしたときも、苦しそうにしか見えないのに、痛い身体をねじって、母親が仕上げた着物を着るといってきかず、結局やり遂げた。
 私達の活動には、表情の笑顔からだけではなく、心の「活き活き」や「笑顔」を見抜く力が必要で、感性が問われているのかもしれない。
 ところで、みなさんご自身は「活き活き」していますか?皆さんと皆さんの関わる方々が、「活き活き」できるように、これから一緒に考えていきましょう。

2009年度 チャペルアワー 2009.11.04

●京都保育福祉専門学院 学院長 岡本匡弘先生
●テーマ:「時を刻む」
●内容:
 この日のチャペルアワーには保育科3週間、介護福祉科4週間の実習を終えたばかりの2回生が多く出席していました。それぞれ保育士、介護福祉士という専門職を目指して時を刻んできた学生に、まず実習を通して自分自身の成長について、振り返る投げかけがありました。学生は成長した自分も感じる一方で、実際に自分は現場で働くことができるのかという不安も抱きます。しかしその不安はある方が良いということ・・・、様々な経験、体験から不安や恐れを抱くのは、人とのかかわりの答は一つのものさしでは測れないことに気づくからであり、その気づきをもってまた次のかかわり、体験、学びへと繋がっていくことを伝えられました。。
 また先生の子どもの頃から続いている友人との関係、介護職としての働きをされた時、全盲の男性ご利用者の希望で季節は過ぎていたにも関わらず、一緒にアサガオを育てたことの体験を語られ、学生達に自分の与えられた時に対して納得のいくように時を刻んでいくことの大切さを語られました。
 そして、保育、福祉の専門職者になろうとしている学生たちに、自分の時だけでなくこれから関わる一人ひとりの方のときを私たちは一緒に刻むことになる、そのことを自覚し、自分自身は相手の方とどのように刻んでいこうとするのかを問い続けながら歩んで欲しいと話されました。

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