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「神と人に愛される子ども」中江 潤先生

2019年1月16日(水)「神と人に愛される子ども」聖書:ルカによる福音書2章41節〜52節
お話:本法人(京都基督教福祉会)理事長/桂ぶどうの木こども園 園長 中江 潤先生

【学生の感想より】
・子どもはみな神様から愛されていることのシンボルでもある。「神と人に愛される子ども」という想いをかかげて、先生の園でも同じように考えていることにキリストとのつながりがあるのだと知れました。
・子どもたちが自分のことを認め、自分も他者も愛し、愛される子になるために、保育者が愛を育むことが大切だと感じました。
・神と人に愛されたというのは、イエス様だけではなくどの子も愛されているのだと分かった。
・愛を持って接すること、寄り添うこと、その過程が愛になっていくのかなと思った。今日の讃美歌の“愛は忍耐”に納得した。

 今日の聖書の箇所ではイエス キリストの少年時代に触れ、子供から大人へと成長するイエス自身が、自らを神の子と自覚し、20年後の自身の活動を予見させています。
 愛する、或いは愛されるということにはどのような意味が込められているのでしょう。そして、対人援助者として巣立っていく学生たちは“愛”についてどのようにとらえるべきなのでしょうか。中江先生曰く「愛とはすべてを受け入れることができる力」である。偏見や先入観、偏狭な価値観を捨て、相手をあるがままに受け止めることができる力こそ愛の根底をなすものだということです。しかし、これは頭ではわかっていても実際にそのように振舞うというのはとても困難なことです。しかし、私たちは相手をあるがままに受け入れるということを片時も忘れず、そのように努めることはできるはずです。対人援助者として働くことを決めた学生一人ひとりに、このことを常に心にとめておいてくれることを願ってやみません。(総務部職員 今井 泰二)

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2019年01月16日 08:56に投稿されたエントリーのページです。

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