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「祈りつつ」福井 生先生

2018年10月3日(水)「祈りつつ」
聖書:コロサイの信徒への手紙 第4章2節
お話:知能に重い障がいをもつ人たちの生活施設 止揚学園 園長 福井 生先生

 本日のチャペルアワーは、「祈りつつ」というテーマで止揚学園の福井生先生にお話しをしていただきました。心豊かに、家族のように生活をされている止揚学園の皆様。本学院の卒業生も何人か仲間の一人となり共に歩んでおられます。

 福井生先生より、「障がい(者)というが、生活する中で初めて障害となる。社会が障害となるハードルを作り、住みにくくしているのではないだろうか。」と、ご提言をいただきました。このままでは生きている意味さえ問われる社会になるのでは。誰もが共に生きていく未来への願いは祈りとなっていく…、福井先生は、止揚学園で共に過ごす仲間、またそのご家族との関わりから受け取られた「祈り」についてお話下さり、私たちにとって、「“祈りは希望”仲間の方の笑顔が語ってくれる。みんな同じ命、皆同じところに立っている。」と想いを込めて熱く語られました。

【学生の感想より】
・福井先生は、「祈りは希望」とおっしゃっていた。幸せはみんな平等。不幸、幸せに順番はない。障がいがあるなしは関係ないとの思いも語られていて、その通りだと思った。
・障がいを持っている子どもの保護者は、毎日祈りながら生活していると聞き、流した涙が報われるように、自分が接する機会があれば力になりたいと思いました。
・障がいがあるなしではなく人間が階段という障がいを作っているから、上り下りが難しい人を障がいがあると言っていると聞いて、その通りだと思いました。
・自分も毎日を過ごす中で、祈ることをします。祈ることは本当に、自分にとっての希望であると思います。障がいがあってもなくても、人は1人では生きられないから、同じだと思いました。みんなで支え合って生きていくことが大切だと私も思いました。

 本日は、福井先生のお話と、西竹先生の歌声と東舘先生のピアノで、「祈り」という止揚学園の曲の一つを聴くこともできて、チャペルアワーは温かい雰囲気の中に包まれました。「みんなの笑顔が守られますように。心がつながりますように。」という歌詞が、本日の福井先生の語りの内容と重なり、心にいつまでも響き渡りました。
 私自身も、昔も今も社会から障がい者といわれている方々と関わり合い支えられています。福祉サービスを受けるために手帳を持っているから障がい者?でも、障がい者という名の人はいない。みんな一人ひとりが、個性を持ち大切な命を持った人間です。誰もが共にあたりまえの存在として、生きていく社会になることを願い、できる実践をしていきたいと、本日、福井先生のお話を聴いて、改めて確認することができました。福井生先生。そして、西竹先生、東舘先生、本日は誠にありがとうございました。(専任教員:石塚正志)

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2018年10月03日 17:02に投稿されたエントリーのページです。

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