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2017年07月 アーカイブ

2017年07月05日

「各々に与えられた役割を果たす」櫛田 恵里子先生

2017年7月5日(水)「各々に与えられた役割を果たす」
聖書:ルカによる福音書10章38〜42節
お話:社会福祉法人峰山福祉会 峰山乳児院 施設長 櫛田 恵里子先生

 本日は、「各々に与えられた役割を果たす」と題して、峰山乳児院施設長の櫛田先生がお話をして下さいました。聴き上手なマリアと気が利きよく動くマルタの2人の姉妹。イエス様は、それぞれの持ち味を生かすということを大切にされていることが聖書から伝わります。ここで本日の学生の感想をみていきます。

 ・それぞれに持ち味があり、比較する必要などないというメッセージが込められていたように感じます。私たちがめざす仕事は、子どもたちを比べるということは絶対してはいけないことだと思います。子どもたち一人ひとりの想いに心を寄せて話を聴くこと、言葉にはできない泣き声から欲求を汲み取ること、目には見えない愛を届けることを大切にしたいです。
 ・完璧な人などいないと知りました。就職をすると、大切なことや楽しいことがあるが、得るものはとても大きいと感じました。そして、乳児院は、とても小さい命をあずかっているので、1つ1つ気を付けることがあると思いました。子どもの泣き声で、何を求めているのか察知できる保育士になれるとよいなと感じました。今回のお話では、自分に与えられた仕事をしっかりとこなすことが大切だと学びました。
 ・第5代学院長であった中江学院長と直接、私たちが関わることは残念ながらありませんでした。中江先生と関わった櫛田先生からのお話を聴き、間接的ではありましたが、とても素晴らしい方ということを知りました。その方がおられるだけで安心でき、存在感があり、櫛田先生も一緒の空間にいるだけで嬉しかったとおっしゃっていました。

 先月の6月21日に神様の御許に召された第5代学院長中江素子先生は、その空間にいるだけで安心できる存在感のある先生でした。7月17日には、学院にてお別れの会があり、沢山の卒業生や教職員の方々、福祉関係の方々が出席されました(多くの方々に愛された中江先生のお人柄が伺えます)。
 永きにわたり親交があった櫛田先生からは、中江先生は聴き上手で人を受容することができる『マリア』のような存在だったというお話がありました。
 実際に中江先生のご講義を受ける機会は、本日参加した学生たちにはありませんでしたが、そこに静かに傾聴する学生たちの姿があり、中江先生のお人柄は櫛田先生を通して感じることができました。中江先生が心ある保育士養成に全力を向けて築かれた学院が、今なおその歴史を紡いで、在学生たちは日ごとに成長しております。
 櫛田先生、本日はありがとうございました。(専任教員 石塚正志)

2017年07月12日

「『自分自身を愛する』ということ」木原 活信 先生

2017年7月12日(水)「『自分自身を愛する』ということ」
聖書:ガラテヤの信徒への手紙 5章14節
お話:同志社大学社会学部教授 社会福祉学博士 木原 活信 先生

 自分の存在価値が見いだせず、自分を好きになれない、許せない自分を罰するためにリストカットをし、そこから生きているという快感を得る若者(特に女性に多い)…木原先生がはじめに話された日本の現状に、若者である学生たちの感想には驚きもある一方で、その想いに対して「分かる」「自分にも難しい」と、今まさにその課題に向き合っていることが伺える内容や、「昔の自分ならそう答えていたと思う」とその頃からの意識や心の変化について振り返っている内容がありました。

 先生は、聖書に示されているのは「自分を愛しなさい」という命令ではなく、「隣人を自分のように愛しなさい(あなたが自分を大切に想うように隣人を大切にしなさい)」であると話され、「自分自身を愛しなさいとは言いません。けれども「愛せない」という叫びは本物と偽物の愛を見抜くセンスがあるからこそ。どんな自分も愛して下さる神様がおられること、目には見えなくても一人ひとりに完全な愛をもって働きかけて下さっていることに目を向けてもらいたい」と語りかけて下さいました。
 
【学生の感想より】
 ・今日の先生のお話には驚くことがたくさんありました。中高生に自分が価値があるとは思っていない人がたくさんいること、リストカットはそんな日本の現象だということです。そういった想いや辛いことがあっても愛されていることを知ることで強くなり、人のために生きたいと思われた人の話を聞けて、私も含めそういう考え方になる人がたくさん増えていくと良いなと思いました。
 ・自分が価値のない人間だと思うか…昔の私は思わないと答えていただろう。リストカットしている子の気持ちは分かるところがある。私はポジティブになりたいという自分の気持ちから努力し、大分前向きになれたと思う。自分を愛することが前よりはできていると思う。周りからの愛をいっぱい感じている。しかし、先生の言葉から自分を愛せない時があるときは「神様からは愛されている」と思うことを心に留めておきたい。
 
 「神様はどんな人も決して見捨てない、自分を無価値だと思う者にも真の愛で愛して下さっている。その確信を持てた時、人は変えられる」と先生ご自身の体験も踏まえて語って下さったメッセージに大きな励ましをいただきました。
 一人ひとりに注がれる神様の愛を感じることは、保育奉仕者として「いのち」に寄り添っていこうとする学生の大きな希望に繋がっていくように思いました。(専任教員 池田奈緒実)

2017年07月26日

「神さまの手のひら」河 尚志先生

2017年7月26日(水) 「神さまの手のひら」
聖書:イザヤ書49章13〜16節
お話:西日本福音ルーテル教会 カナン福音ルーテル教会牧師 河 尚志先生

[学生の感想より]
・ポケットの中に入れていても、知らないうちにどこかへ無くしてしまったことがあるなと思い出しました。無くしてはいけない「物」や「思い」はしっかりと手で握って大切にしないといけないなと感じました。
・人生の中で苦しい思いをすることや悩みは必ずあります。それさえも神さまは手のひらで握っていてくださり、神さまを信じていけばいいと思いました。
・神さまのように、自分が嫌な思いをしても周りの人を大切にするということは、時には必要だと思った。また嫌な思いをためこまないようにしたいと思った。
・これから就職すると誰にも言えないような悩みがたくさん出てくると思うので、自分の心の健康を守るためにも、何でも話せる仲間や友達を大切にしたいと思った。自分も人の不安や苦しい気持ちをきいてあげて、気持ちを軽くしてあげられるあたたかい人(保育者)になりたいと思った。


「見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける。(イザヤ書49章16節a)」
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(ペトロの手紙一5章7節)」 

 チャペル・アワーは、ゆっくりとした気持ちで自分自身と向き合うことができる時間、感謝です。いつも余裕なく走り続けていて不安になる私たちの気持ちや、卒業して就職する保育科2回生にとって、ほっと安心させていただけるお話しでした。「神さまの手のひら(掌〜たなごころ〜)」を感じながら、幅広く活躍できるステキな保育者をめざしてがんばりましょう。(専任教員 森阪万季)

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