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2017年05月 アーカイブ

2017年05月10日

「共にあゆむ」中江 潤先生

2017年5月10日(水)「共にあゆむ」
聖書:ヨハネの手紙一4章19節
お話:本法人(京都基督教福祉会)理事長/桂ぶどうの木保育園園長 中江 潤 先生

[学生の感想より]
・表面的な関わりだけでなく子ども、保護者の心の内に入り共に考え、共に知り、共に寄り添い、共にあゆむ…、このような関係性を築いていけるような保育者になりたいと思った。相手の気持ちや心の内を知ることは簡単ではない。知るためにはどのような関わりを行えば良いのか、考えさせられました。
・産まれる前から今までどんなあゆみがあったか、10人いれば10人それぞれ違うから、その子ども、家庭にあった支援をしていかないといけないと思いました。共にあゆむ、共に生きる、共に〜するために自分が今、何ができるかということを考えないといけないと思いました。
・不安や限界など抱えながらも子どもと向き合い子育てされてきた保護者の方、子ども達と私たちは出会い、一緒に成長していく職業に就くのだと気が引きしまる思いになりました。
・私が今度実習させていただく施設では「共に」ということを大事にされているので、「共に」とはどういうこと?どうしたら「共に」になるのか?とずっと考えていますが、考えれば考えるほど難しくなります。中江先生は「共に」=平和、平和のためにどんな努力をしているか?と話されていてまた難しいと感じました。でも、平和の第一歩はあたたかい心、広い心を持つことなのかなと思いました。
・多文化を受け入れるということは「共にあゆむ」という視点でも大切だと思いました。狭い視点で考えるのではなくて、広い視点で考えることも大切な事であると思いました。

 
 「共にあゆむ」というとき、それは誰と、何を大切にして…?向き合う方々の持つ様々な歩みと想いに心を寄せる努力をどんな風にしていくのか…、一人ひとりが改めて自分自身に問いかける時が与えられました。そして、神様に愛されている私たち一人ひとりが、この地上で共に生きるお互いを大切に想い合い、寄り添い合うことが「共に=平和」なあゆみへと繋がっていくことを思うときとなりました。
(専任教員 池田奈緒実)


2017年05月17日

「愛ってなんだろう」木原 桂二先生

2017年5月17日(水) 「愛ってなんだろう」 
聖書:ルカによる福音書15章11〜24節
お話:日本バプテスト連盟 北山バプテスト教会 牧師 木原 桂二先生

 本日の聖書箇所はイエス様が「放蕩息子のたとえ」を用いて神様が私たち人間一人ひとりを愛して下さっている事、それはどのような愛なのかを語られる場面です。

[学生の感想より]
・愛はその人を受け入れることなのかなと思いました。
・一緒にいるだけで嬉しい、共にいる人がいる喜び、「存在価値」を大切にしたい。自分もその考え方をもって人と人との出会いや関係を大切にしていきたいと思った。
・自分が困ったら助けをもとめてくるような息子、普通なら怒るようなことを何も文句を言わずにあんなに簡単に迎え入れられる父はすごいと思うし、それが愛といわれると、愛って素晴らしくて、すごいものだと感じた。
・福音書にそってお話をしていただき、父(神)が裏切るような行為をした息子を赦すだけでなく受け入れ、待っていたという所にとても感銘を受けました。また存在価値についても、これから福祉という道で色々な方々と出会いがあると思うので、どんな方にも必ず存在価値があるということを心に留めて接していきたいと思いました。
・聖書の父と息子(弟)の話から存在価値を見出すことで偏見をなくし、色々な人に愛のある行動ができると知った。

 
 愛ってなんだろう、保育・福祉にどのように繋がっていくのか…一人ひとりに深く考える時が与えられたことに感謝します。学生生活が「愛」を実現できる具体的な知識、技術を丁寧に学んでいく日々となりますように祈りたいと思います。
(専任教員 池田奈緒実)

2017年05月24日

「いのちが大切にされる社会をつくりだす」平田 義先生

2017年5月24日(水) 「いのちが大切にされる社会をつくりだす」
聖書:ヨハネによる福音書5章1〜13節
お話:社会福祉法人イエス団空の鳥幼児園園長・愛隣館研修センター所長 平田義先生

[学生の感想より]
・お話を聞いて、障がいを持っている子どもが、皆がしているような当たり前の経験を同じように経験することの大切さが分かりました。
・障がいのある子を、普通の子どもと一緒に生活させることはすごくいい経験だと思った。その子だけじゃなく、その周りの子も経験できることがあるし、お互いにとっていい事だと思った。
・その子のお母さんが生き生きとしていると感じてもらえる環境づくり、その子が自分は存在価値があると感じてもらえることの大事さを学びました。障害のある人が受けてきたこと、最近あった事件で差別されていたことも知ったので、私から、私のまわりから、少しでも差別する目がなくなるようにつとめたいと思いました。
・健常者である、障がい者である、のは関係なく、一人ひとりの命の重さは同じだから、生きる価値も同じだと思いました。
・障がいのある子達と関わることがない一般社会の人は、出生前診断で障がいのある可能性があると言われたら命をあきらめる選択をしてしまう社会というのが現実なんだと思った。それを変えていけるのは、福祉にたずさわっている自分なんだなと改めて感じた。
・私も精一杯支援して、子どもを笑顔にしたいです。たとえ障がいがあっても、その存在が周りを明るくしてくれる。大事な命です。

 
私は長く医療の現場で命を大切にしながら、その人との出逢いに感謝し、その人を理解し、その人の家族とともに、その人らしく入院や通院「生活」を送れるよう支援努力してきました。
 命が大切にされる社会をつくりだすには、その社会の中にいる私たち一人ひとりが、どんな職種であれ立場であれ、自分自身の心を動かすことが大切なのです。「共に生きること」を感じられる、そんなステキな現場で活躍できる保育者をめざして共にがんばりましょう。
(専任教員 森阪万季)

2017年05月31日

「雑」岡本 匡弘先生

2017年5月31日(水) 「雑」
聖書:ルカによる福音書6章43〜45節
お話:本学院学院長 岡本 匡弘 先生

 発想の転換により、自分が問題と思っていたことが違う視点で考えられることもあります。今日は『雑』というテーマから話が広がりました。

ここで本日の学生の感想をみていきます。
・同じ事象の場面に出会ったとしても、解釈の仕方、受け取り方を変えるだけで、その人に対する印象が大きく変わる。自分も生きやすく、また相手から良い印象を受け取るために、新たな価値観、考え方を得たいと思った。
・自分の価値観で相手を見てしまうのはとてもあると思います。価値観、考え方を変えるだけで、人の行動や言葉をプラスにかえることはいくらでもできると改めて学べ、気付くことができました。
・学院長のお話を聞いて、私は受け止め方をマイナス面でしか捉えていなかったのかもしれないと実習中に傷ついた言動を振り返りました。捉え方によって自分の引き出しの中に入るものが変わると思いました。
・自分の基準ではなく、様々な角度で見ることで、新しい答えが出るのだと感じた。実習での学びをいかしていけるようにしたいと思う。

 
 『雑』この文字を見ると、「丁寧さに欠ける」(大雑把、繁雑、混雑)等、いいイメージがないが、プラスにとらえると、「おおらか」、「寛大」ともいえます。生活施設実習が終わったばかりですが、自身の振り返りにも役立つ内容であったことが感想からうかがえます。自身の気づきを力に変えて、引き続き保育士となる自分に磨きをかけていきましょう。
(専任教員 石塚正志)

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