京都ほせん チャペルアワー

2018年02月26日

「預かっているもの」入 治彦先生

2018年2月26日(月)卒業・修了特別礼拝「預かっているもの」
聖書:マタイによる福音書 25章14〜27節
お話:日本キリスト教団 京都教会 牧師 入 治彦先生

【学生の感想より】
・預かったものを増やして返すということは、保育士の仕事と似ているのかなと感じた。保護者からお預かりした子どもの成長を手助けして(増やして)お返しする。そして当たり前のことだが、そこにいる子どもは自分のものでなくお預かりしているだけなので、しっかり一人の人間として尊重して接することが必要だ。

・預かったものをどう使うかによって変わってくることが分かった。何もしないよりかは何かチャレンジをして後悔した方が良いし、何もしないで後悔するよりは断然成長もできると感じた。

・お話の中で預かったものはお金だったけれど、私たちは保育の知識や技術をこの学院で預かりました。しかし、私たちが返さなければならないのは学院の先生方ではなく、春からお世話になる勤務先の施設の子どもや利用者の方々です。今卒業や資格取得できたことに満足するのではなく、預かったものを生かしていけるよう努力していきたいです。

 
 卒業・修了特別礼拝における先生のお話は、このときに集った学生が、今春から保育奉仕者として巣立つにあたり、大変深く心に残るものであったと思います。心より感謝しております。するべきことをし、自分を磨き続けていくことで、きっと神からお預かりしたタラントン(賜物)が価値あるものとして使われていくことでしょう。
 ありがとうございました。(専任教員 森阪万季)

2018年01月17日

「しなやかに強い心」堂腰 きみ子先生

2018年1月17日(水)「しなやかに強い心」
聖書:フィリピの信徒への手紙 1章9〜11節
お話:同志社幼稚園 園長 堂腰きみ子先生

【学生の感想より】
・気持ちを十分に言葉で表出することができない子どもの心を読み取ることが保育者の役割だと考えていたけれど、時には気持ちを読み取っていても、子どもが自分で表出することができる力をつけるよう関わる必要があるとお話から学んだ。優しさの中の厳しさ、柳の木のお話が印象に残っている。まさに保育者に求められる姿だと感じた。

・一つひとつの言葉にものすごく説得力があり、なるほどと思える事ばかりで、当たり前のことが出来ない今、当たり前を改めて考え直すことで、大切だということが分かるのだと思った。3つの事(自己決定ができること、自己責任がとれること、自己選択能力をもつこと)を大切にし、人として、先生として、このような先生になりたいと思った。

・自分も小学校や中学校の時には自分の意見をしっかり言えていたけれど、年々言えなくなっていることに先生の話を聞いて気付きました。これから働く保育士という仕事は、どんな時にでも自分の意志や自分の意見を持っておくことが大切であるので、周りの環境などを日頃から大切にしながら話し合える関係を築いていけたらいいと感じました。

・私もすぐ周りと比べてしまい、何にもできない、もうやりたくないと思う事が多く、失敗したとき、次は完璧にしないととずっと思っていたけれど、そのように思わず、自分ができるところまでやり、失敗を恐れず何度も繰り返すことが大切なのだと気づきました。

 
 堂腰先生が話される一言ひとことには、ギュッと人の心を掴む力があり、お話が始まるやいなや、会場全体が、先生の不思議な力に吸い込まれていきました。「チャペル・アワーで泣いたのは初めてでした」と、レポートの最後に小さな字で書かれているものもあり、学生たちの心、想いがお話から深く動かされた様子が伝わってきました。
 柳の木のように、外見はしなやかで美しく優しいけれど、どんなに強い風にも、深い雪にも耐えられる強い心を持つ…凛とした佇まいの堂腰先生は、真っ直ぐな姿勢でわかりやすくに学生に語ってくださいました。最後に先生からの「しあわせのはひふへほ」という言葉のプレゼントをご紹介します。 「は」・・・半分でいい。 「ひ」…人並みでいい。 「ふ」…普通でいい。 「へ」…平凡でいい。「ほ」…ほどほどでいい。 
 堂腰先生、本日は学びの多い豊かな時間をありがとうございました。
(専任教員 山恭代)

2018年01月10日

「病児たちに培われた愛と希望」佐原 良子先生

2018年1月10日(水)「病児たちに培われた愛と希望」
聖書:コリントの信徒への手紙二 1章3〜7節
お話:心臓病の子どもを守る京都父母の会「パンダ園」代表 佐原 良子先生

【学生の感想より】
・「病気を持った子どもが自分自身を受け入れる、家族もそれを受け入れられる場所がパンダ園だと学ぶことが出来ました。『病気の子どもの友達になるために生まれてきたんだね』の言葉に今、自分が置かれている場所、立場を恨めしく思ったりしている自分がいることにはっとさせられ、頑張らなければという想いになりました。」

・「天にいる天使さんこそ小さいパンダ園を今のパンダ園にしてくれた。亡くなった子がかわいそうではなく、素敵な仕事をしてくれたという言葉が心に残りました。」

・「人と人とが支えあって生きているのだと思いました。佐原先生は自身がお子さんを亡くされているのだと聞いてとても悲しくなりましたが、その辛い悲しい思いが今の佐原先生となっているのだと思いました。」

・「サンタてんし3さい」の絵本を読んだことがあった。今まで、読んだ絵本と違って読んだ後に考えさせられる話だった。そういう本を書かれた先生がいるパンダ園をもっと知りたくなった。」

 
 本日はパンダ園代表の佐原先生にお話をしていただきました。毎年、先生からパンダ園のお話をこのチャペル・アワーで聞かせていただいていますが、何度聞いてもいたたまれない思いになります。佐原先生やパンダ園の方々、そして保護者の方々の想い。幼い子どもたちが天に召されていく経験を継続しながら展開される支援、この耐え難い苦しみと悲しみを乗り越え、子どもたちに愛と希望をもらい、それを活動の力に変えて進んで行かれます。その心の強さはやはりその培われた愛と希望から来るのです。きっと誰もが継続できる活動ではないと思います。
 今回のお話から学生が、福祉の仕事は学校で学ぶ専門性だけではなく、愛と希望いう対人の実践でしか学ぶことが出来ないということ、またその大切さを少しでも理解できたのではないかと思っています。ありがとうございました。
(専任教員:花岡 貴史)

2017年12月13日

「園の子どもたちのクリスマス」中江 潤先生

2017年12月13日(水) 「園の子どもたちのクリスマス」
聖書:イザヤ書7章14節
お話:本法人(京都基督教福祉会)理事長/桂ぶどうの木こども園 園長 中江 潤先生

【学生の感想より】
・クリスマス会はどうあるべきか?保育者、保護者が満足出来るものを作るのではなく、子どもが楽しいと思える、記憶に残るものをつくる事が大切だと感じた。子どもが喜んでいる姿を見る事が保育者や保護者に対してのプレゼントだと思う。
・先生の姿を見て、子ども達はクリスマスを感じ自分たちも参加しようという気持ちを持っていると分かりました。子どもながらに「クリスマス」という日の意味を理解しているので、自分もしっかり理解を深めていきたいと思います。
・(毎年飾られる園のクリスマスツリーの、変わらないぼんやりした灯りがご近所の方の安心に繋がっていたというお話から)人は変わろうとばかりするけれど、変わらない事は誰かの落ち着く場所にもなっているのかなと思いました。

 クリスマスの意味をどう感じ、どんな風に過ごしていくのか・・・、園の子どもさんや親御さんのご様子、かかわっておられる先生方のご様子を中江先生からお聞きし、学生一人ひとりにとって考える時が与えられました。そこに在るあたたかな想いを感じ、保育奉仕者としての将来へ繋がる大切な学びをさせていただきました。感謝いたします。
(専任教員 池田奈緒実)

2017年12月06日

「神は我々と共におられる」正木 牧人先生

2017年12月6日(水) 「神は我々と共におられる」
聖書:マタイによる福音書1章18〜25節
お話:西日本福音ルーテル教会 伊丹福音ルーテル教会 牧師/神戸ルーテル神学校 校長 正木 牧人 先生

【学生の感想より】
・求められている場で楽しむ工夫をすると、いきいき輝いて、周りの人まで変えてしまうようなパワーがあるのだと知りました。置かれているところに反感をもったり、辛い思いをするのではなく、任されたところで使命感をもち、自分に与えられている価値を見つめ直し、楽しむことで人生は輝きだすと教わりました。「心に希望をもってやり切ること」を大切にしたいと思いました。
・人生の中で「何故自分は○○なんだろう」等思うこともあります。受け止めることで目、顔つきが変わっていくというお言葉が心に残りました。最初の思いだけで決断するのではなく、様々な角度で見る、人の話に耳を傾ける、受け止め行動する姿勢を大切にしたいです。


 先生はクリスマス飾りの意味等に触れながら、イエスが誕生したクリスマスの様子、そしてイエスを囲む人々の想いについて語られます。
 ヨセフにとっては晴天の霹靂であるマリアの懐胎。時代的な価値観から来るプレッシャーも手伝って、マリアと別れようと考えます。しかしそこへ天使が訪れ、想いを新たに共に歩む決意となります。
 その迷いに至る「イヤだな。」という感覚は大なり小なり感じた経験は誰しもあるのではないでしょうか。
 先生は、憧れのオリエンタルランドへ入社するも駐車場係で不満を抱く人が、先輩から「遠方から来て下さる人を真っ先に出迎えられる素敵なポジション」と示され改心するエピソード等を織り込み、「自身に与えられている使命」について説かれました。

 学生さんから出されたレポートには「『何で私だけ?』と思うことがあるけれど、私に与えられた使命だと思い、自分にどれだけできるかを考えることが、これから社会に出る上でとても大切だと思いました。」と捉え方そのものに感銘を受ける声が多く記されていました。

 お話しのポイントがたくさんあり過ぎてここでは網羅出来ないのが残念ですが、先生が「心に希望のある人生」を強く語られていた姿が印象的な時間となりました。
 最初のろうそくに火が灯った今週のチャペル・アワー。
 聞く人それぞれの心のなかにも揺らぎないあたたかなものが灯りました。ありがとうございました。(専任教員 野之暢)

2017年11月22日

「貧しい人々は本当に幸いか」前川 修先生 

2017年11月22日(水)「貧しい人々は本当に幸いか」
聖書:ルカによる福音書 6章20〜23節
お話:社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会/希望の家児童館 館長 前川 修先生

【学生の感想より】
・心の壁を作らない人間関係が子どもの頃から出来ている子は、大人になっても、きっと良い人間関係が築けると思いました。また、希望の家児童館の子ども達は大人から教えられたのではなく、子ども達の中で学べているのが素晴らしいと思いました。
・子どもが仲間の事を認めて、周りに理解するように働きかける優しい話を聞くことができて心が温まった。大人が言ってできるようになるのではなく、子どもの内から自然に湧き出ることが大切だと思う。「今飢えている人は幸いである」この言葉を受け入れるためには、今の苦しみを受けとめて、希望を見出した時にこの言葉が入ってくるのではないかと思う。
・「福祉の仕事はきれいごとでは出来ない。」という話を聞いて、楽しいことばかりではないし泣きたい時や苦しい時もあると思うので、子ども達に寄り添って一緒に泣いたり笑ったりしていきたいと思いました。聖書の話では、イエスは貧しい人々は苦しんでいる、困っているから神様は助けてくださる=幸せなのだ。と話を聞いてそういう考えもあるのだと思いました。

 今日の聖書、ルカによる福音書で、そこには、「貧しい人は幸いである・・・」と書かれてあります。福音書とは、イエスキリストの行いを書かれたものであり、マタイによる福音書では同じ内容のことを「 "心の"貧しい人は幸いである…」と書かれています。今、現実に貧しさや、苦しみ、悲しみ、絶望の中にいる人は本当に幸いなのか・・・イエスは、その人達と共に泣きながら、叫びながら、それと共に生きておられたということです。そのことから、福祉の原点はそこにあるということを学びました。
 上記感想の他にも多くの学生が、「困っている人、苦しんでいる人、辛い思いをしている人や子どもに寄り添い、共に感じ、少しでも和らげられる人になりたい」という感想を書いてくれています。
毎回のチャペルアワーや、日々の学びの中で、学生達の 「成長」 が感じられることに喜びを感じます。(専任教員:山恭代)


2017年11月15日

「その一匹を見失ったとすれば」後藤 正敏先生

2017年11月15日(水)「その一匹を見失ったとすれば」
聖書:ルカによる福音書 15章1〜7節
お話:日本キリスト教団 京都上賀茂教会 牧師 後藤 正敏先生

【学生の感想より】
・自分を見失った時、立ち止まって自分らしさをしっかり確かめる。また他人(子ども・対象者)に対しても心から安心できるよう工夫や配慮をする。これが当たり前にできるようになりたい。
・(相手の立場に立って、その人が最も望んでいるように聞く、寄り添う…それが愛なんだという先生のお話から、)誰かのためにできること、するべきこと、それを当たり前のように思い、行動できる、それが愛であり、本当のやさしさだと思った。
・保育園や幼稚園では子どもが同じ動きをする様に指導しなければいけないと思っていましたが、そうではなく、子どもの立場に立ち、どうするのがその子どもにとってベストなのかという事を一番に考え、接するべきだということ、その人がいつも心地よく過ごせるように環境を整えることの大切さを学びました。
・あるがままを受け入れ、愛で働き、動くことのできる人間になりたいと思った。
・子ども一人ひとりの立場に立って、気持ちを考える・・・今日のお話は自分自身に太陽のあたたかい光が射すようなお話でした。先生の考えを私もとりいれたいです!とりいれます!
・くまの詩が印象的だった。自分が自分で良かったなあと安心するという…いい詩。

 聖書の「見失った羊のたとえ」、まど・みちおさんの「ぼくがここに」「くまさん」という詩を通して、一人ひとり、ひとつひとつの存在を神様が愛して下さっていること、あるがままにそこにある(いる)ことの重み、ありのままが受け入れられることの安心、その大切さについて深く想う時が与えられたように思います。
 また、後藤先生がゆっくり読み上げてくださったまど・みちおさんの詩に、ほっと一息をついて心穏やかになった学生の様子もありました。
 お話から動いた学生一人ひとりの心が守られ、保育・福祉・幼児教育に携わる者としてその心と大切に繋いでいくことができるように祈りたいと思います。(専任教員:池田奈緒実)

2017年11月08日

「心の貧しい人」寺田 悳英 先生

2017年11月8日(水)「心の貧しい人」
聖書:マタイによる福音書 5章1〜3節
お話:日本キリスト教団 桂教会 牧師 寺田 悳英 先生

【学生の感想より】
・人がどう思おうかではなく、神が守ってくれているから大丈夫、苦しみがあるからこそゴールがあるということにすごく共感しました。一つ一つの積み重ねが本当に大事なんだなと感じました。
・試練があるからこそ成長できると思いました。聖書の言葉に出会うことで人生がかわることもあるんだと思いました。
・困難なことや試練があった時にそこであきらめて耐え凌ぐということではなく、その後のことがあるからこそ頑張る、今ではなく先のことを見て行動していかないといけないと思った。
・私も私の家族、私の周りにも試練や辛いことを持っていると日々感じます。先生が今日おっしゃられたようにいつか実を結ぶと信じて歩んでいきたいです。
・人の気持ちを考えすぎて、自分の意見が言えないのは私もそうだなと思いました。でも、最近はほんの少しだけどう思われても良いかと思えるようになり、言える時もできました。頼ること頼れることが自分の重荷をやわらげる大切なことだとわかりました。


今日のお話しでは次の言葉が出てきました。
徳川家康の言葉
“重荷を背負いて長き道を行くが如し”
イエスの言葉
“心の貧しい人は幸いである”(マタイによる福音書5章3節a)
“疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は追いやすく、私の荷は軽いからである。(マタイによる福音書11章28〜30節)”これは“くびきの一つは私(イエス)が負う”ということ。
人生は嬉しいことや楽しいことばかりではなく、重荷を背負って歩んでいくが、イエスのように自身の重荷を背負ってくれる存在に気付き、神は決して人を見捨てないということを知ることで、先の人生を進んで行く勇気の大切さを教えていただいたように思います。
心が強く、助けを求めない人が世の中にはおられるかもしれませんが、支えてくれる人への感謝と自らの成長が実を結ぶというお話しの内容は、多くの人の心に沁み込むものではないでしょうか。そんな気がしてなりません。(総務部:村松 伸哉)

2017年11月01日

「保育士として歩んでいく。これまでも、これからも」大井 宜和先生

2017年11月1日(水)「保育士として歩んでいく。これまでも、これからも」
聖書:マルコによる福音書4章30〜32節
お話:本学院卒業生/桂保育園 保育士 大井宜和 先生

【学生の感想より】
 ・保育士にとって「仕事を楽しむ」ことは何よりも大切だと思った。楽しい気持ちは子どもに伝わるし、逆に楽しくない気持ちも伝わるので、また楽しめるということは適度な余裕もあるということでもあるので、「仕事を楽しむ」という言葉は常に頭に置いておきたいと思う。
 ・「仕事を楽しんでいる?仕事を楽しまないと、楽しくない気持ちが子どもに伝わってしまうよ」という言葉を聞いて、苦しい時などでも何より仕事が楽しいと思うことが大事だということが素晴らしいと思いました。
 ・「手作りのものは絶対に喜ばれる」とおっしゃられていたが、自分も今回の実習で手作り絵本の読み聞かせを行ったが、本当に喜んでくれて私の宝物になったのでこれからも大切にしたい。
 ・たくさんのご指導をいただく中で時にはしんどくなってしまう時もあったと言うお話がありました。授業の中で保育実践をした際、たくさんのご指導やクラスの仲間からの意見をいただいた時悔しい気持ちでいっぱいになりました。そういう時に受け止める、受け入れる力の必要性を学びました。ご指導を頂けるということはとても有りがたいことだと思います。
 ・私も今、実習に行った後で、就職のことについて悩んでいます。本当に私に保育の仕事がやっていけるのだろうかと不安でいっぱいですが、大井先生の話を聞いて、少し心が軽くなりました。

 本日は卒業生の大井宜和先生に現場の厳しさ、そして楽しさをご自分の体験を基にお話ししていただきました。私自身も大井先生が卒業してからそんな葛藤があったのかと初めて知る部分もありました。多くの学生は先生の“仕事を楽しむこと”という部分に共感したようです。仕事が楽しい、というのは色々な要因があって自分の気持ちだけでは難しいですね。この仕事を目指す学生が子どもや利用者の方々に優しく笑顔で接することを目指すのは当然ではありますが、今日の先生のお話で、対象者への関わりだけが特別ではなくて、職場の同僚との関わりも基本は同じなのだということ。それが仕事の楽しさにつながるということに気が付ける部分があったのではないかと思っています。
(専任教員:花岡 貴史)

2017年10月04日

「あたたかい生命と温かいいのち」福井 生先生

2017年10月4日(水)「あたたかい生命と温かいいのち」
聖書:コロサイの信徒への手紙3章16節a
お話:知能に重い障がいをもつ人たちの生活施設 止揚学園 園長 福井 生(いくる)先生

 先生は過日、天に召された止揚学園の仲間、ジュンナさんとの生活を中心にたくさんの想いを語られました。
 学生さんから出されたレポートにはまず何よりも「障がいをもつもたないに関わらず、仲間として生活している。」という概念そのものに感銘を受ける声が多く聞かれました。
 そして先生が幼い頃、仲間と共に学校に通うエピソードを通して、人と人とのつながりについて明確にイメージ出来たコメントも見られました。
 その上で、「相手に対して『どうすれば良い?』と問うだけでなく、『(相手を)信じる姿勢が大切である』」という想いが深く気持ちに残った様子に…学生さんたちの福祉に対するセンスの良さにも改めて感心させられた次第です。
 生活するなかでうまれた詩(うた)を止揚シスターズ(西竹先生、東舘先生)が優しいピアノの音と澄んだ歌声で奏で、ジュンナさんという素敵な女性のお人柄そして豊かな歩みを共有できる貴重な時間となりました。
 先生、ありがとうございました。
(専任教員 野之暢)