京都ほせん チャペルアワー

2017年11月22日

「貧しい人々は本当に幸いか」前川 修先生 

2017年11月22日(水)「貧しい人々は本当に幸いか」
聖書:ルカによる福音書 6章20〜23節
お話:社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会/希望の家児童館 館長 前川 修先生

【学生の感想より】
・心の壁を作らない人間関係が子どもの頃から出来ている子は、大人になっても、きっと良い人間関係が築けると思いました。また、希望の家児童館の子ども達は大人から教えられたのではなく、子ども達の中で学べているのが素晴らしいと思いました。
・子どもが仲間の事を認めて、周りに理解するように働きかける優しい話を聞くことができて心が温まった。大人が言ってできるようになるのではなく、子どもの内から自然に湧き出ることが大切だと思う。「今飢えている人は幸いである」この言葉を受け入れるためには、今の苦しみを受けとめて、希望を見出した時にこの言葉が入ってくるのではないかと思う。
・「福祉の仕事はきれいごとでは出来ない。」という話を聞いて、楽しいことばかりではないし泣きたい時や苦しい時もあると思うので、子ども達に寄り添って一緒に泣いたり笑ったりしていきたいと思いました。聖書の話では、イエスは貧しい人々は苦しんでいる、困っているから神様は助けてくださる=幸せなのだ。と話を聞いてそういう考えもあるのだと思いました。

 今日の聖書、ルカによる福音書で、そこには、「貧しい人は幸いである・・・」と書かれてあります。福音書とは、イエスキリストの行いを書かれたものであり、マタイによる福音書では同じ内容のことを「 "心の"貧しい人は幸いである…」と書かれています。今、現実に貧しさや、苦しみ、悲しみ、絶望の中にいる人は本当に幸いなのか・・・イエスは、その人達と共に泣きながら、叫びながら、それと共に生きておられたということです。そのことから、福祉の原点はそこにあるということを学びました。
 上記感想の他にも多くの学生が、「困っている人、苦しんでいる人、辛い思いをしている人や子どもに寄り添い、共に感じ、少しでも和らげられる人になりたい」という感想を書いてくれています。
毎回のチャペルアワーや、日々の学びの中で、学生達の 「成長」 が感じられることに喜びを感じます。(専任教員:山恭代)


2017年11月15日

「その一匹を見失ったとすれば」後藤 正敏先生

2017年11月15日(水)「その一匹を見失ったとすれば」
聖書:ルカによる福音書 15章1〜7節
お話:日本キリスト教団 京都上賀茂教会 牧師 後藤 正敏先生

【学生の感想より】
・自分を見失った時、立ち止まって自分らしさをしっかり確かめる。また他人(子ども・対象者)に対しても心から安心できるよう工夫や配慮をする。これが当たり前にできるようになりたい。
・(相手の立場に立って、その人が最も望んでいるように聞く、寄り添う…それが愛なんだという先生のお話から、)誰かのためにできること、するべきこと、それを当たり前のように思い、行動できる、それが愛であり、本当のやさしさだと思った。
・保育園や幼稚園では子どもが同じ動きをする様に指導しなければいけないと思っていましたが、そうではなく、子どもの立場に立ち、どうするのがその子どもにとってベストなのかという事を一番に考え、接するべきだということ、その人がいつも心地よく過ごせるように環境を整えることの大切さを学びました。
・あるがままを受け入れ、愛で働き、動くことのできる人間になりたいと思った。
・子ども一人ひとりの立場に立って、気持ちを考える・・・今日のお話は自分自身に太陽のあたたかい光が射すようなお話でした。先生の考えを私もとりいれたいです!とりいれます!
・くまの詩が印象的だった。自分が自分で良かったなあと安心するという…いい詩。

 聖書の「見失った羊のたとえ」、まど・みちおさんの「ぼくがここに」「くまさん」という詩を通して、一人ひとり、ひとつひとつの存在を神様が愛して下さっていること、あるがままにそこにある(いる)ことの重み、ありのままが受け入れられることの安心、その大切さについて深く想う時が与えられたように思います。
 また、後藤先生がゆっくり読み上げてくださったまど・みちおさんの詩に、ほっと一息をついて心穏やかになった学生の様子もありました。
 お話から動いた学生一人ひとりの心が守られ、保育・福祉・幼児教育に携わる者としてその心と大切に繋いでいくことができるように祈りたいと思います。(専任教員:池田奈緒実)

2017年11月08日

「心の貧しい人」寺田 悳英 先生

2017年11月8日(水)「心の貧しい人」
聖書:マタイによる福音書 5章1〜3節
お話:日本キリスト教団 桂教会 牧師 寺田 悳英 先生

【学生の感想より】
・人がどう思おうかではなく、神が守ってくれているから大丈夫、苦しみがあるからこそゴールがあるということにすごく共感しました。一つ一つの積み重ねが本当に大事なんだなと感じました。
・試練があるからこそ成長できると思いました。聖書の言葉に出会うことで人生がかわることもあるんだと思いました。
・困難なことや試練があった時にそこであきらめて耐え凌ぐということではなく、その後のことがあるからこそ頑張る、今ではなく先のことを見て行動していかないといけないと思った。
・私も私の家族、私の周りにも試練や辛いことを持っていると日々感じます。先生が今日おっしゃられたようにいつか実を結ぶと信じて歩んでいきたいです。
・人の気持ちを考えすぎて、自分の意見が言えないのは私もそうだなと思いました。でも、最近はほんの少しだけどう思われても良いかと思えるようになり、言える時もできました。頼ること頼れることが自分の重荷をやわらげる大切なことだとわかりました。


今日のお話しでは次の言葉が出てきました。
徳川家康の言葉
“重荷を背負いて長き道を行くが如し”
イエスの言葉
“心の貧しい人は幸いである”(マタイによる福音書5章3節a)
“疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は追いやすく、私の荷は軽いからである。(マタイによる福音書11章28〜30節)”これは“くびきの一つは私(イエス)が負う”ということ。
人生は嬉しいことや楽しいことばかりではなく、重荷を背負って歩んでいくが、イエスのように自身の重荷を背負ってくれる存在に気付き、神は決して人を見捨てないということを知ることで、先の人生を進んで行く勇気の大切さを教えていただいたように思います。
心が強く、助けを求めない人が世の中にはおられるかもしれませんが、支えてくれる人への感謝と自らの成長が実を結ぶというお話しの内容は、多くの人の心に沁み込むものではないでしょうか。そんな気がしてなりません。(総務部:村松 伸哉)

2017年11月01日

「保育士として歩んでいく。これまでも、これからも」大井 宜和先生

2017年11月1日(水)「保育士として歩んでいく。これまでも、これからも」
聖書:マルコによる福音書4章30〜32節
お話:本学院卒業生/桂保育園 保育士 大井宜和 先生

【学生の感想より】
 ・保育士にとって「仕事を楽しむ」ことは何よりも大切だと思った。楽しい気持ちは子どもに伝わるし、逆に楽しくない気持ちも伝わるので、また楽しめるということは適度な余裕もあるということでもあるので、「仕事を楽しむ」という言葉は常に頭に置いておきたいと思う。
 ・「仕事を楽しんでいる?仕事を楽しまないと、楽しくない気持ちが子どもに伝わってしまうよ」という言葉を聞いて、苦しい時などでも何より仕事が楽しいと思うことが大事だということが素晴らしいと思いました。
 ・「手作りのものは絶対に喜ばれる」とおっしゃられていたが、自分も今回の実習で手作り絵本の読み聞かせを行ったが、本当に喜んでくれて私の宝物になったのでこれからも大切にしたい。
 ・たくさんのご指導をいただく中で時にはしんどくなってしまう時もあったと言うお話がありました。授業の中で保育実践をした際、たくさんのご指導やクラスの仲間からの意見をいただいた時悔しい気持ちでいっぱいになりました。そういう時に受け止める、受け入れる力の必要性を学びました。ご指導を頂けるということはとても有りがたいことだと思います。
 ・私も今、実習に行った後で、就職のことについて悩んでいます。本当に私に保育の仕事がやっていけるのだろうかと不安でいっぱいですが、大井先生の話を聞いて、少し心が軽くなりました。

 本日は卒業生の大井宜和先生に現場の厳しさ、そして楽しさをご自分の体験を基にお話ししていただきました。私自身も大井先生が卒業してからそんな葛藤があったのかと初めて知る部分もありました。多くの学生は先生の“仕事を楽しむこと”という部分に共感したようです。仕事が楽しい、というのは色々な要因があって自分の気持ちだけでは難しいですね。この仕事を目指す学生が子どもや利用者の方々に優しく笑顔で接することを目指すのは当然ではありますが、今日の先生のお話で、対象者への関わりだけが特別ではなくて、職場の同僚との関わりも基本は同じなのだということ。それが仕事の楽しさにつながるということに気が付ける部分があったのではないかと思っています。
(専任教員:花岡 貴史)

2017年10月04日

「あたたかい生命と温かいいのち」福井 生先生

2017年10月4日(水)「あたたかい生命と温かいいのち」
聖書:コロサイの信徒への手紙3章16節a
お話:知能に重い障がいをもつ人たちの生活施設 止揚学園 園長 福井 生(いくる)先生

 先生は過日、天に召された止揚学園の仲間、ジュンナさんとの生活を中心にたくさんの想いを語られました。
 学生さんから出されたレポートにはまず何よりも「障がいをもつもたないに関わらず、仲間として生活している。」という概念そのものに感銘を受ける声が多く聞かれました。
 そして先生が幼い頃、仲間と共に学校に通うエピソードを通して、人と人とのつながりについて明確にイメージ出来たコメントも見られました。
 その上で、「相手に対して『どうすれば良い?』と問うだけでなく、『(相手を)信じる姿勢が大切である』」という想いが深く気持ちに残った様子に…学生さんたちの福祉に対するセンスの良さにも改めて感心させられた次第です。
 生活するなかでうまれた詩(うた)を止揚シスターズ(西竹先生、東舘先生)が優しいピアノの音と澄んだ歌声で奏で、ジュンナさんという素敵な女性のお人柄そして豊かな歩みを共有できる貴重な時間となりました。
 先生、ありがとうございました。
(専任教員 野之暢)

2017年09月27日

(DVD)「米子さんのVサイン」

2017年9月27日(水)
DVD「米子」ライフ・エンターテイメント(いのちのことば社/ライフ企画)2007年より
「米子さんのVサイン」(講演&ドキュメンタリー)
聖書:コリントの信徒への手紙供5章17〜18節

【学生の感想より】
・あたえられた命の大きさを感じ、人生って人間それぞれ違うと感じた。障がいってあらためて何だろうと思った。
・神様に与えられた命なのだから、精一杯生きようと米子さんに教えてもらった。とても感動した。
・指が3本あって、出来る事をしていくところが、米子さんの強い所だと思いました。
・何もできないのではなく、何でもできる。それがわかり、「私は今のままでいい。急がず今日をがんばろう!!」と思えた。自分で限界を決めず、前向きに積極的に身を投じようと思う。

 母親の死がきっかけで何のために生きているのかわからなくなり、17歳のときに電車に飛び込んだ米子さん。奇跡的に命をとりとめましたが、両足と左手を失い、残った右手の指は三本に。そんな中、病院に見舞いに来てくれた青年との出会いがきっかけで「私の指、三本もあるんだわ!」という人生に変わりました。

 「目が見える、見えない。足がある、ない。そんなのは障がいじゃありません。ここからそこへ行くのに、義足で行ったって、車いすで行ったっていい。動ければいいっていうことでしょう」「じゃあ何が人生において障がいなんだろうというときに、目の前にいる人を許さないとか、いつも後悔ばかりで後ろ向きで、すぐ近くにいる人の愛が感じられない。そんな心を持っていることが障がいなのです」
・・・米子さんが講演の締めくくりにこのように仰った言葉が印象的でした。
(総務部:大平裕実)

2017年09月20日

(CD)「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」

2017年9月20日(水)(CD)「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」
朗読:森繁久彌 音楽:東儀秀樹 編曲:井上 鑑 東芝EMI株式会社(1999年)
聖書:コヘレトの言葉 3章10〜11節・コリントの信徒への手紙12章4〜7節

今日はレオ・バスカーリア作 みらい なな訳 童話屋館 による絵本「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」が朗読と音楽で表現された上記作品を通して学びました。
 フレディという葉っぱが春に誕生し、冬の訪れと共に命の終わりを迎えるまで、その一生が四季を通して描かれています。

〈学生の感想より〉
・葉っぱのフレディが存分に生きた姿に自分たちも生きがいを見つけて意義のある人生を送りたいと思いました。
・一つとして同じ葉っぱはないのは人も同じ。育っていく環境で個性が出てくる事を見守れる保育者になりたいと思いました。

「葉っぱのフレディ」は大人が自分の生き方を考えさせられるお話。
学生の年齢で死を考える事は、これまで少なかった事かもしれません。
死と向き合う事で当たり前に過ごしてきた毎日をかけがえのないものだったと気づき、自分は何がしたいのか、どのようになりたいかを考え、精一杯生きたいと思えるようになれた事はとても有意義であったと思います。(総務部:生田淑子)


2017年09月13日

「かべ」 岡本 匡弘先生

2017年9月13日(水)「かべ」
聖書:エフェソの信徒への手紙4章26節
お話し:本学院学院長 岡本 匡弘先生

 お城の壁などの物理的な「かべ」、スポーツ選手の記録の「かべ」など色々な「かべ」についてのお話しもありましたが、主に自分自身の目標としての「かべ」、そして人との間に存在する心の「かべ」についてお話しがありました。
 まず対人援助の仕事を志す学生さんにとって人との間の「かべ」は支援する方や、一緒に働く職員さんとの関わりで重要になってきます。
そして自分自身の「かべ」。これから卒業までの間に自分自身の「かべ」を乗り越え、また更に高い「かべ」に挑戦する心。自分だけではなく仲間と共に「かべ」を乗り越えるために意見を出し合い協力する力。
 自分自身の「かべ」に向き合うことは辛い気持ちになることもきっとあると思います。しかしそれを少しずつ乗り越え、新たな自分に出会いうことで、素敵な対人援助者として成長してほしいと思いました。

【学生の感想より】
・この学校に入学した時は第一印象で人の性格や特徴、人格を決めつけ壁をつくり、合う、合わないを判断していたところがあり、今になって少しずつ自分が思ってた印象が間違っていたとかんがえさせられるところがある。自分にマイナスになる「かべ」をつくるのではなくプラスに働く「かべ」をつくることが大切だということを感じた。
・これから大人へ近づいていく中で、まだまだ未熟で甘えてしまうところがたくさんあるので、しっかりと自分自身をコントロールできるようにしたいと思いました。壁に当たっても諦めない強さを身に付けたいと思います。
・相手の負担にならない「依存」。「利用者に支援者は依存している」という話はなるほどなあと思った。支える、支えられるの関係だけではないということから、人と人との関わりだということを感じた。
・学院長のお話でもあったように、ありのままの自分を表現することがベストではあるが、まずは相手の気持ちや考えに共感することを心掛けたいと思う。

(総務部 本松寛子)


2017年07月26日

「神さまの手のひら」河 尚志先生

2017年7月26日(水) 「神さまの手のひら」
聖書:イザヤ書49章13〜16節
お話:西日本福音ルーテル教会 カナン福音ルーテル教会牧師 河 尚志先生

[学生の感想より]
・ポケットの中に入れていても、知らないうちにどこかへ無くしてしまったことがあるなと思い出しました。無くしてはいけない「物」や「思い」はしっかりと手で握って大切にしないといけないなと感じました。
・人生の中で苦しい思いをすることや悩みは必ずあります。それさえも神さまは手のひらで握っていてくださり、神さまを信じていけばいいと思いました。
・神さまのように、自分が嫌な思いをしても周りの人を大切にするということは、時には必要だと思った。また嫌な思いをためこまないようにしたいと思った。
・これから就職すると誰にも言えないような悩みがたくさん出てくると思うので、自分の心の健康を守るためにも、何でも話せる仲間や友達を大切にしたいと思った。自分も人の不安や苦しい気持ちをきいてあげて、気持ちを軽くしてあげられるあたたかい人(保育者)になりたいと思った。


「見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける。(イザヤ書49章16節a)」
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(ペトロの手紙一5章7節)」 

 チャペル・アワーは、ゆっくりとした気持ちで自分自身と向き合うことができる時間、感謝です。いつも余裕なく走り続けていて不安になる私たちの気持ちや、卒業して就職する保育科2回生にとって、ほっと安心させていただけるお話しでした。「神さまの手のひら(掌〜たなごころ〜)」を感じながら、幅広く活躍できるステキな保育者をめざしてがんばりましょう。(専任教員:森阪万季)

2017年07月12日

「『自分自身を愛する』ということ」木原 活信 先生

2017年7月12日(水)「『自分自身を愛する』ということ」
聖書:ガラテヤの信徒への手紙 5章14節
お話:同志社大学社会学部教授 社会福祉学博士 木原 活信 先生

 自分の存在価値が見いだせず、自分を好きになれない、許せない自分を罰するためにリストカットをし、そこから生きているという快感を得る若者(特に女性に多い)…木原先生がはじめに話された日本の現状に、若者である学生たちの感想には驚きもある一方で、その想いに対して「分かる」「自分にも難しい」と、今まさにその課題に向き合っていることが伺える内容や、「昔の自分ならそう答えていたと思う」とその頃からの意識や心の変化について振り返っている内容がありました。

 先生は、聖書に示されているのは「自分を愛しなさい」という命令ではなく、「隣人を自分のように愛しなさい(あなたが自分を大切に想うように隣人を大切にしなさい)」であると話され、「自分自身を愛しなさいとは言いません。けれども「愛せない」という叫びは本物と偽物の愛を見抜くセンスがあるからこそ。どんな自分も愛して下さる神様がおられること、目には見えなくても一人ひとりに完全な愛をもって働きかけて下さっていることに目を向けてもらいたい」と語りかけて下さいました。
 
【学生の感想より】
 ・今日の先生のお話には驚くことがたくさんありました。中高生に自分が価値があるとは思っていない人がたくさんいること、リストカットはそんな日本の現象だということです。そういった想いや辛いことがあっても愛されていることを知ることで強くなり、人のために生きたいと思われた人の話を聞けて、私も含めそういう考え方になる人がたくさん増えていくと良いなと思いました。
 ・自分が価値のない人間だと思うか…昔の私は思わないと答えていただろう。リストカットしている子の気持ちは分かるところがある。私はポジティブになりたいという自分の気持ちから努力し、大分前向きになれたと思う。自分を愛することが前よりはできていると思う。周りからの愛をいっぱい感じている。しかし、先生の言葉から自分を愛せない時があるときは「神様からは愛されている」と思うことを心に留めておきたい。
 
 「神様はどんな人も決して見捨てない、自分を無価値だと思う者にも真の愛で愛して下さっている。その確信を持てた時、人は変えられる」と先生ご自身の体験も踏まえて語って下さったメッセージに大きな励ましをいただきました。
 一人ひとりに注がれる神様の愛を感じることは、保育奉仕者として「いのち」に寄り添っていこうとする学生の大きな希望に繋がっていくように思いました。(専任教員 池田奈緒実)