京都ほせん チャペルアワー

2017年10月04日

「あたたかい生命と温かいいのち」福井 生先生

2017年10月4日(水)「あたたかい生命と温かいいのち」
聖書:コロサイの信徒への手紙3章16節a
お話:知能に重い障がいをもつ人たちの生活施設 止揚学園 園長 福井 生(いくる)先生

 先生は過日、天に召された止揚学園の仲間、ジュンナさんとの生活を中心にたくさんの想いを語られました。
 学生さんから出されたレポートにはまず何よりも「障がいをもつもたないに関わらず、仲間として生活している。」という概念そのものに感銘を受ける声が多く聞かれました。
 そして先生が幼い頃、仲間と共に学校に通うエピソードを通して、人と人とのつながりについて明確にイメージ出来たコメントも見られました。
 その上で、「相手に対して『どうすれば良い?』と問うだけでなく、『(相手を)信じる姿勢が大切である』」という想いが深く気持ちに残った様子に…学生さんたちの福祉に対するセンスの良さにも改めて感心させられた次第です。
 生活するなかでうまれた詩(うた)を止揚シスターズ(西竹先生、東舘先生)が優しいピアノの音と澄んだ歌声で奏で、ジュンナさんという素敵な女性のお人柄そして豊かな歩みを共有できる貴重な時間となりました。
 先生、ありがとうございました。
(専任教員 野之暢)

2017年09月27日

(DVD)「米子さんのVサイン」

2017年9月27日(水)
DVD「米子」ライフ・エンターテイメント(いのちのことば社/ライフ企画)2007年より
「米子さんのVサイン」(講演&ドキュメンタリー)
聖書:コリントの信徒への手紙供5章17〜18節

【学生の感想より】
・あたえられた命の大きさを感じ、人生って人間それぞれ違うと感じた。障がいってあらためて何だろうと思った。
・神様に与えられた命なのだから、精一杯生きようと米子さんに教えてもらった。とても感動した。
・指が3本あって、出来る事をしていくところが、米子さんの強い所だと思いました。
・何もできないのではなく、何でもできる。それがわかり、「私は今のままでいい。急がず今日をがんばろう!!」と思えた。自分で限界を決めず、前向きに積極的に身を投じようと思う。

 母親の死がきっかけで何のために生きているのかわからなくなり、17歳のときに電車に飛び込んだ米子さん。奇跡的に命をとりとめましたが、両足と左手を失い、残った右手の指は三本に。そんな中、病院に見舞いに来てくれた青年との出会いがきっかけで「私の指、三本もあるんだわ!」という人生に変わりました。

 「目が見える、見えない。足がある、ない。そんなのは障がいじゃありません。ここからそこへ行くのに、義足で行ったって、車いすで行ったっていい。動ければいいっていうことでしょう」「じゃあ何が人生において障がいなんだろうというときに、目の前にいる人を許さないとか、いつも後悔ばかりで後ろ向きで、すぐ近くにいる人の愛が感じられない。そんな心を持っていることが障がいなのです」
・・・米子さんが講演の締めくくりにこのように仰った言葉が印象的でした。
(総務部:大平裕実)

2017年09月20日

(CD)「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」

2017年9月20日(水)(CD)「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」
朗読:森繁久彌 音楽:東儀秀樹 編曲:井上 鑑 東芝EMI株式会社(1999年)
聖書:コヘレトの言葉 3章10〜11節・コリントの信徒への手紙12章4〜7節

今日はレオ・バスカーリア作 みらい なな訳 童話屋館 による絵本「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」が朗読と音楽で表現された上記作品を通して学びました。
 フレディという葉っぱが春に誕生し、冬の訪れと共に命の終わりを迎えるまで、その一生が四季を通して描かれています。

〈学生の感想より〉
・葉っぱのフレディが存分に生きた姿に自分たちも生きがいを見つけて意義のある人生を送りたいと思いました。
・一つとして同じ葉っぱはないのは人も同じ。育っていく環境で個性が出てくる事を見守れる保育者になりたいと思いました。

「葉っぱのフレディ」は大人が自分の生き方を考えさせられるお話。
学生の年齢で死を考える事は、これまで少なかった事かもしれません。
死と向き合う事で当たり前に過ごしてきた毎日をかけがえのないものだったと気づき、自分は何がしたいのか、どのようになりたいかを考え、精一杯生きたいと思えるようになれた事はとても有意義であったと思います。(総務部:生田淑子)


2017年09月13日

「かべ」 岡本 匡弘先生

2017年9月13日(水)「かべ」
聖書:エフェソの信徒への手紙4章26節
お話し:本学院学院長 岡本 匡弘先生

 お城の壁などの物理的な「かべ」、スポーツ選手の記録の「かべ」など色々な「かべ」についてのお話しもありましたが、主に自分自身の目標としての「かべ」、そして人との間に存在する心の「かべ」についてお話しがありました。
 まず対人援助の仕事を志す学生さんにとって人との間の「かべ」は支援する方や、一緒に働く職員さんとの関わりで重要になってきます。
そして自分自身の「かべ」。これから卒業までの間に自分自身の「かべ」を乗り越え、また更に高い「かべ」に挑戦する心。自分だけではなく仲間と共に「かべ」を乗り越えるために意見を出し合い協力する力。
 自分自身の「かべ」に向き合うことは辛い気持ちになることもきっとあると思います。しかしそれを少しずつ乗り越え、新たな自分に出会いうことで、素敵な対人援助者として成長してほしいと思いました。

【学生の感想より】
・この学校に入学した時は第一印象で人の性格や特徴、人格を決めつけ壁をつくり、合う、合わないを判断していたところがあり、今になって少しずつ自分が思ってた印象が間違っていたとかんがえさせられるところがある。自分にマイナスになる「かべ」をつくるのではなくプラスに働く「かべ」をつくることが大切だということを感じた。
・これから大人へ近づいていく中で、まだまだ未熟で甘えてしまうところがたくさんあるので、しっかりと自分自身をコントロールできるようにしたいと思いました。壁に当たっても諦めない強さを身に付けたいと思います。
・相手の負担にならない「依存」。「利用者に支援者は依存している」という話はなるほどなあと思った。支える、支えられるの関係だけではないということから、人と人との関わりだということを感じた。
・学院長のお話でもあったように、ありのままの自分を表現することがベストではあるが、まずは相手の気持ちや考えに共感することを心掛けたいと思う。

(総務部 本松寛子)


2017年07月26日

「神さまの手のひら」河 尚志先生

2017年7月26日(水) 「神さまの手のひら」
聖書:イザヤ書49章13〜16節
お話:西日本福音ルーテル教会 カナン福音ルーテル教会牧師 河 尚志先生

[学生の感想より]
・ポケットの中に入れていても、知らないうちにどこかへ無くしてしまったことがあるなと思い出しました。無くしてはいけない「物」や「思い」はしっかりと手で握って大切にしないといけないなと感じました。
・人生の中で苦しい思いをすることや悩みは必ずあります。それさえも神さまは手のひらで握っていてくださり、神さまを信じていけばいいと思いました。
・神さまのように、自分が嫌な思いをしても周りの人を大切にするということは、時には必要だと思った。また嫌な思いをためこまないようにしたいと思った。
・これから就職すると誰にも言えないような悩みがたくさん出てくると思うので、自分の心の健康を守るためにも、何でも話せる仲間や友達を大切にしたいと思った。自分も人の不安や苦しい気持ちをきいてあげて、気持ちを軽くしてあげられるあたたかい人(保育者)になりたいと思った。


「見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける。(イザヤ書49章16節a)」
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(ペトロの手紙一5章7節)」 

 チャペル・アワーは、ゆっくりとした気持ちで自分自身と向き合うことができる時間、感謝です。いつも余裕なく走り続けていて不安になる私たちの気持ちや、卒業して就職する保育科2回生にとって、ほっと安心させていただけるお話しでした。「神さまの手のひら(掌〜たなごころ〜)」を感じながら、幅広く活躍できるステキな保育者をめざしてがんばりましょう。(専任教員 森阪万季)

2017年07月12日

「『自分自身を愛する』ということ」木原 活信 先生

2017年7月12日(水)「『自分自身を愛する』ということ」
聖書:ガラテヤの信徒への手紙 5章14節
お話:同志社大学社会学部教授 社会福祉学博士 木原 活信 先生

 自分の存在価値が見いだせず、自分を好きになれない、許せない自分を罰するためにリストカットをし、そこから生きているという快感を得る若者(特に女性に多い)…木原先生がはじめに話された日本の現状に、若者である学生たちの感想には驚きもある一方で、その想いに対して「分かる」「自分にも難しい」と、今まさにその課題に向き合っていることが伺える内容や、「昔の自分ならそう答えていたと思う」とその頃からの意識や心の変化について振り返っている内容がありました。

 先生は、聖書に示されているのは「自分を愛しなさい」という命令ではなく、「隣人を自分のように愛しなさい(あなたが自分を大切に想うように隣人を大切にしなさい)」であると話され、「自分自身を愛しなさいとは言いません。けれども「愛せない」という叫びは本物と偽物の愛を見抜くセンスがあるからこそ。どんな自分も愛して下さる神様がおられること、目には見えなくても一人ひとりに完全な愛をもって働きかけて下さっていることに目を向けてもらいたい」と語りかけて下さいました。
 
【学生の感想より】
 ・今日の先生のお話には驚くことがたくさんありました。中高生に自分が価値があるとは思っていない人がたくさんいること、リストカットはそんな日本の現象だということです。そういった想いや辛いことがあっても愛されていることを知ることで強くなり、人のために生きたいと思われた人の話を聞けて、私も含めそういう考え方になる人がたくさん増えていくと良いなと思いました。
 ・自分が価値のない人間だと思うか…昔の私は思わないと答えていただろう。リストカットしている子の気持ちは分かるところがある。私はポジティブになりたいという自分の気持ちから努力し、大分前向きになれたと思う。自分を愛することが前よりはできていると思う。周りからの愛をいっぱい感じている。しかし、先生の言葉から自分を愛せない時があるときは「神様からは愛されている」と思うことを心に留めておきたい。
 
 「神様はどんな人も決して見捨てない、自分を無価値だと思う者にも真の愛で愛して下さっている。その確信を持てた時、人は変えられる」と先生ご自身の体験も踏まえて語って下さったメッセージに大きな励ましをいただきました。
 一人ひとりに注がれる神様の愛を感じることは、保育奉仕者として「いのち」に寄り添っていこうとする学生の大きな希望に繋がっていくように思いました。(専任教員 池田奈緒実)

2017年07月05日

「各々に与えられた役割を果たす」櫛田 恵里子先生

2017年7月5日(水)「各々に与えられた役割を果たす」
聖書:ルカによる福音書10章38〜42節
お話:社会福祉法人峰山福祉会 峰山乳児院 施設長 櫛田 恵里子先生

 本日は、「各々に与えられた役割を果たす」と題して、峰山乳児院施設長の櫛田先生がお話をして下さいました。聴き上手なマリアと気が利きよく動くマルタの2人の姉妹。イエス様は、それぞれの持ち味を生かすということを大切にされていることが聖書から伝わります。ここで本日の学生の感想をみていきます。

 ・それぞれに持ち味があり、比較する必要などないというメッセージが込められていたように感じます。私たちがめざす仕事は、子どもたちを比べるということは絶対してはいけないことだと思います。子どもたち一人ひとりの想いに心を寄せて話を聴くこと、言葉にはできない泣き声から欲求を汲み取ること、目には見えない愛を届けることを大切にしたいです。
 ・完璧な人などいないと知りました。就職をすると、大切なことや楽しいことがあるが、得るものはとても大きいと感じました。そして、乳児院は、とても小さい命をあずかっているので、1つ1つ気を付けることがあると思いました。子どもの泣き声で、何を求めているのか察知できる保育士になれるとよいなと感じました。今回のお話では、自分に与えられた仕事をしっかりとこなすことが大切だと学びました。
 ・第5代学院長であった中江学院長と直接、私たちが関わることは残念ながらありませんでした。中江先生と関わった櫛田先生からのお話を聴き、間接的ではありましたが、とても素晴らしい方ということを知りました。その方がおられるだけで安心でき、存在感があり、櫛田先生も一緒の空間にいるだけで嬉しかったとおっしゃっていました。

 先月の6月21日に神様の御許に召された第5代学院長中江素子先生は、その空間にいるだけで安心できる存在感のある先生でした。7月17日には、学院にてお別れの会があり、沢山の卒業生や教職員の方々、福祉関係の方々が出席されました(多くの方々に愛された中江先生のお人柄が伺えます)。
 永きにわたり親交があった櫛田先生からは、中江先生は聴き上手で人を受容することができる『マリア』のような存在だったというお話がありました。
 実際に中江先生のご講義を受ける機会は、本日参加した学生たちにはありませんでしたが、そこに静かに傾聴する学生たちの姿があり、中江先生のお人柄は櫛田先生を通して感じることができました。中江先生が心ある保育士養成に全力を向けて築かれた学院が、今なおその歴史を紡いで、在学生たちは日ごとに成長しております。
 櫛田先生、本日はありがとうございました。(専任教員 石塚正志)

2017年06月28日

「笑顔を引き出す力」神田 美子先生 高谷 恵美先生

2017年6月28日(水)「笑顔を引き出す力」
聖書:コヘレトの言葉 3章9〜11節
お話:にこにこトマト顧問/神田美子先生 代表/高谷恵美先生

 本日は、京都大学付属病院小児科の子どもたちと、付き添いの保護者の方を対象に、「楽しく豊かな時間」をプレゼントされているボランティアグループ “にこにこトマト” の顧問の神田美子先生と、代表の高谷恵美先生に「笑顔を引き出す力」と題してお話をしていただきました。
 にこにこトマトさんは神田先生が娘さんのご病気、長い入院生活に寄り添われる中でその想いが与えられ、1995年より活動をされています。平日のほぼ毎日、70余名のメンバーの方が20余りのグループに分かれ、1ヶ月に1回、交代でボランティアをされています。その活動は読み語り、実験、造形、絵画などバラエティに富んで幅広く、時にはコンサートなどもされるそうです。活動は、入院されている子ども達やその親御さんにとって、また、病院にとっても大きな支えとなっておられることと思います。

 以下は学生の感想です。
 ・単に「優しい」と言っても、いろいろな捉え方がある。言葉がけが優しい人、相手を想って時には強いことを言う優しい人等、保育者として将来、単に「優しい人」ではなく保育者として、子ども達にどのような人であることが最も良いのか、改めて考えることが、神田先生のお話しを聞いてできました。にこにこトマトでは素晴らしい活動をされていることを知りました。誰もがイベントや楽しい活動があると嬉しいです。子どもたちならなお喜んでくれると思います。また、院内で活動されているので容易に入りやすく、とても素晴らしい活動だと高谷先生のお話しを聞いて思いました。人と人のつながりの大切さを感じました。
 ・高谷先生の、「病気にならなければ気づけなかった幸せに気づけた」ということばを聞いて、今私が普通に楽しく過ごせているこの環境も当たり前ではないと感じました。娘さんの病気、亡くなられたことはとても辛いことだと思うけれど、にこにこトマトとの出会いにつながっているのだなと思いました。何もないところからここまでいろいろな人が参加するものになるのはとてもすごいと思いました。このように、病気で苦しんでいる子どもの力になれることって、とてもステキだと思います。私も何かできることはあるかもしれないと感じることができました。
 ・神田先生がおっしゃった、「美しいと思えないなら美しくすればよい」という言葉が印象的でした。辛いことだけにとらわれないことは、とても大切だと思いつつも、目の前の事に精いっぱいになってしまいがちだと思います。広い考え方、自分自身のとらえ方はとても大切だと思いました。(娘さんが闘病生活を送られる中で、)「幸せのハードルが下がった」という高谷先生の言葉が心に残りました。ちょっとしたことだけでも、本当はとても幸せなことなんだなと考えさせられました。自身の経験を次は入院している多くの子どもたちにしてあげたいというふうに思えることはとてもすてきだと思った。また、そうやって人は繋がっていくのだと感じました。

 本日の聖書は、コヘレトの言葉 3章9〜11節。「…わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り(=新改訳聖書では「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」)、また、永遠を思う心を人に与えられる…」とあります。神様の計画の中でにこにこトマトさんの活動が誕生し、20年以上の長い間、多くの人の支えになっておられるのだと感じます。「笑顔を引き出す力」の原動力は、神様が与えて下さった“人と人のつながり”ということを学ばせていただきました。
 神田先生、高谷先生、本日はありがとうございました。(専任教員 山恭代)


2017年06月14日

「共に生きる」秋山 あゆみ先生

2017年06月14日(水) 「共に生きる」
聖書:ローマの信徒への手紙12章9〜15節
お話:本学院保育科 第45期卒業生/ペスタロッチ保育園 保育士 秋山 あゆみ先生

17年ぶりに会った秋山さんは…すっかりベテランの風格。
在学時はどこかはにかむような話し方でしたが、現在はキリスト教保育を通して子どもと共に驚きと発見を大切に日々を積み重ね、しっかりと前を向いてお話しされる姿が印象的でした。


1回生さんのレポートには「あだ名で互いを呼び、先生と子どもではなく、一人の人間として関わっている」保育に驚くものが多くありました。そして「生活=あそび」。トイレに行くことさえ楽しむ工夫が出来る視点に学びことが多かった様子です。
2回生さんのレポート。「保育士の楽しさを感じるお話だった。障がいのある子どもに対して個性の豊かさを大切にする事や、1つひとつの動作にもあそびを取り入れる事など工夫をたくさん聞けてよかった。保育は人なり。改めて感じた。指導とか、日常の過ごし方、子どもにどんな力を身につけて欲しいかだけでなく、子どものどんな顔が見たいかや、子ども同士のどんな関わりが見たいかも想像する事も必要だと知った。」


子どもとの活き活きとしたやりとりを弾ける笑い声と共に届けてくれてありがとうございました。あなたの活躍は在校生にとっても大きな目標のひとつになった様子です。
(専任教員 野之暢)

2017年06月07日

「大切なのは『目に見ること』だけ?」

2017年6月7日(水)「大切なのは『目に見ること』だけ?」
聖書:マルコによる福音書 4章26~29節
お話:日本基督教団 紫野教会 牧師 ・紫野幼稚園 園長 渡邊大修先生

[学生の感想より]
・渡邊先生がおっしゃっていた様に、目に見える成長や関わりは保育をする上で当たり前のことであるが、目に見えない事柄は容易なことではない。キリスト教保育にはそれがあり子どもたちの心を読み保育するのは難しいことだが幼児期には大切な行いだと思う。
・目に見える事柄を伸ばせるように努め、喜びを共有し共に成長して行けるように努めることは大切ですが出来るように、伸ばせるようにということだけに一生懸命になるのではなく、目には見えない事柄心の育ちを養うことも大切なことだと学びました。
・目に見えないものを育てると、その子どもは心が豊かになる魅力的な子となると言う先生の言葉がとても印象的でした。目に見える成果を求めたり評価しがちだが、心を育てなければいけないとわかりました。これからしっかり勉強して行きたいです。
・今日の話をお聞きして目に見えない部分がきれいな人はすべてがきれいだと思った。乳幼児期の一番基礎を作る時期の関わりは、その人の一生に関わることくらい大きなことだと感じた。

 
 本日は渡邊先生から「大切なのは『目に見ること』だけ?」というテーマでお話しをしていただきました。物事は目で見える範囲で判断しがちになるが、特に乳幼児の発達では見えない部分の成長を見る力が求められるということでした。先生の職場である幼稚園に即したお話ではありましたが、何事も自分の目に見えている部分だけで全てが見えてしまっているように思ってはいけないという対人援助の基本を改めて考えることが出来ました。
(専任講師:花岡貴史)